浄土真宗本願寺派 正心寺




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お話「一語一縁」

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ひとつのことば ひとつの話に 出あい ふと気づかされたり 考えたり… ひとつのことば ひとつの話に 出あい それが仏法にふれるご縁となっていければ…

最近の記事

拝啓 東日本大震災

3月4日に訪問した宮城県の仮設住宅の壁に貼ってあった言葉です。

拝啓 東日本大震災 様

あの日 あなたがいらしてからというもの私たちの生活は一変しました。
大切な人やモノを失い、生きる気力さえも失いました。
正直あなたを恨みました。
それは今でも変わらず一生背負っていくでしょう。

でも、少しだけ感謝しています。
「人の温かさ」「普通の生活」がどれだけ尊いか、
「今という瞬間」がどれだけ貴重であるか、
私達が忘れかけていたものばかりです。
これからの私達を見てください。きっとあなたが驚くほどの力で現状を打破し、元の生活以上の素晴らしい未来を築いていくことを。

敬具

固定リンク | 2016年03月10日【23】

沖縄の思い

沖縄県平和資料記念館にある「展示むすびのことば」


沖縄の実相にふれるたびに
戦争というものは  これほど残忍で  これほど汚辱にまみれたものはない と思うのです

この なまなましい体験の前では いかなる人でも
戦争を肯定し 美化することは できないはずです

戦争をおこすのは たしかに人間です
しかし それ以上に
戦争を許さない努力のできるのも  私たち人間ではないでしょうか 

戦後このかた 私たちは
あらゆる戦争を憎み
平和な島を建設せねば と思いつづけてきました

これが あまりにも大きすぎた代償を払って得た
ゆずるこのできない 私たちの信条なのです

固定リンク | 2015年12月16日【22】

わが身を知って前へ進め

 最近感じることに・・・
 世間では“前向きに生きる”ということがあまりにも強く賛美されすぎているのではないかと思うことがしばしばあります。
例えば音楽シーンでも特に若い世代が聴く曲の中には、「前を向いて突っ走る」とか「力強く突き進む」とか「振り返らずに前へ進め〜」というのような言葉の歌詞がよく使われています。“前向きに”ということ自体は勿論すばらしいことですが、ただ単に勢い重視の“前を向いて”だけの姿勢には少し違和感を感じるところがあります。

 私たちは常に元気良く、力いっぱい進めたら良いのですが、実際なかなかそう思い通りにはいかないものです。つまずきもするし、壁にぶち当たることだってある。そんな時・・・どうするのか? 投げやりになったり、現状を受け入れないままに前へ前へという姿勢はいかがなものでしょう。
 私は、立ち止まったっていいと思うんです。立ち止まって物事をゆっくり考え、今をしっかりと受け止める時間も生きていく上では必要なのではないでしょうか。

 前に進むには、自分の足もとを見ていかなければなりません。足もとがおぼつかないと前にも進めません。場合によっては私たちは人の足もとは見えるのですが、自分の足もとにはなかなか目がいきません。
 仏教の教えの中に、そして私が好きな言葉に「脚下照顧」という教えがあります。「脚下」とは足もと、「照顧」とは私自身を顧みるということ。よくよくわが身を知ることが大切であるということ。「照」の照らされるということは真宗的に味わうと、阿弥陀さまに照らされて知らされるわが身ということでしょうね。

 さて、前向きばかり言われる現代。人生を歩むには踏み出す勇気はもちろん大切ですが、立ち止まる勇気も大切です。立ち止まって自分を見て、振り返ってみる視点こそが、いま私たちに大切なのではないでしょうか。前向きに生きていくとは、今をしっかりと引き受けて生きていくということと言えましょう。今の自分が見えた時こそ、前を向いての新たなる力強い一歩が踏み出せるような気がします。

固定リンク | 2015年07月03日【21】

もうすぐ今日が終わる、やり残したことはないかい

♪もうすぐ今日が終わる やり残したことはないかい
 親友と語り合ったかい 燃えるような恋はしたかい
 一生忘れないような出来事に出あえたかい
 かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい

♪またすぐ明日に変わる 忘れてしまっていないかい
 残された日々の短さ 過ぎ行く時の早さを
 一生なんて一瞬さ いのちを燃やしてるかい
 かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい


これは「かりゆし58」というミュージシャンの「オワリはじまり」という曲の歌詞。彼らのストレートな歌詞に心揺さぶられる人が多いようです。因みに私は彼らのストーリー性のある歌詞の部分がまた気に入っています。

ひと日の終わりに、今日一日を振り返ってみる。
時には、沈みゆく夕日を見ながら・・・
時には、夕方お仏壇の前に座りながら・・・

私は今日 どのような一日を過ごしただろうか。
大切に一日を生きることが出来ただろうか。
誰かにやさしい言葉をかけることができただろうか。
素直に「ありがとう」「すみません」が言えただろうか。
仏さまから見た私は、どんな私だっただろうか。
ゆっくり考えると、ひと日の私に、今の私に出あえるような気がします。

私たちのいのちは、まさしく無常の中のいのち。
無常のいのちだからこそ、大切に一日を生きてゆきたい。
ひと日の短さ、過ぎ行く時の早さを感じながら、
大切に、そして精一杯 生きていきたいものです。

♪もうすぐ今日が終わる やり残したことはないかい

固定リンク | 2014年07月15日【20】

ににふに

 仏教用語に而二不二(ににふに)という言葉があります。かなで読むと、可愛らしいですね。
「而二不二」とは、「而二」と「不二」の二つの言葉がくっついたもので、二つであって二つでない という意味です。なんだかとっても矛盾している言葉です。
「而二(にに)」とは、一つのものを二つの面から見ることで、「不二(ふに)」とは、二つの面があっても、その本質は「一つ」である、ということです。
一枚の紙を例にとって考えてみましょう。
「紙には表と裏がある。」というのが「而二」にあたります。そして、「表と裏がそろって初めて一枚の紙になる。」と言うのが「不二」にあたります。
つまり、紙には表と裏という二つの面があり、その両方があるからこそ紙が存在しているというわけです。このような、表と裏のような、切っても切れない関係が「而二不二」です。

 世の中には表ばかりのものや、裏ばかりのものはありません。また、表のないものには裏はなく、裏のないものには表はありません。裏は表があるから生まれ、表も裏があるからこそ生まれてきたのです。
 わたしたちは、気付かぬうちにいろんなものを別々に分(わ)けてみていきます。そしてその方が都合良いのです。でも大切な本質を見失ってしまいます。
いのちは等しく大切なものである事はみんな知っています。ところが、蚊が飛んできたら叩いてしまうし、きれいな蝶なら叩きません。知らず知らずのうちに、いのちを自分にとって都合が良いか悪いかで分けてしまっています。悲しいことに、それが私たちの姿です。而二(にに)不二(ふに)とはそんな矛盾を抱えずにはおれない私たちに、『ばらばらじゃないよ。みんないっしょだよ。』と語りかけてくれている言葉のような気がします。

 生死一如 生きるも死ぬもひとつごと。出会いは別れの始まりであり、別れはまた出会いの始まりである。別れは辛く悲しいけれど、その悲しみから学ぶ事が出来るのが人間のすばらしさではないでしょうか。
 
 ナモアミダブツは矛盾や悲しみに出会わなくてはならない私たちに、間違いなくまたお会いすることのできるいのちを生きているんだよ。終わってゆくいのちを生きているのでなく生まれてゆくいのちを生きているんだよと呼び続けてくださるはたらきです。ナモアミダブツと手をあわせ拝むところに亡き方との出会いがある。亡き方はほとけさまとなって拝む私たちの姿を よろこび ほめ たたえて いてくださいます。

安芸教区 紫花 大慈 師

(このコーナーへのご執筆ありがとうございました)

   

固定リンク | 2014年03月16日【19】

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