浄土真宗本願寺派 正心寺




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お話「一語一縁」

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ひとつのことば ひとつの話に 出あい ふと気づかされたり 考えたり… ひとつのことば ひとつの話に 出あい それが仏法にふれるご縁となっていければ…

最近の記事

〇〇過ぎの見直し

食べ過ぎた 最後の一口 繰り返し

何気に見た川柳です。お店に行くと良く「食べ放題〇〇〇〇円」という表記を目にします。最近はメガ盛りなんて言葉もあります。食べ過ぎたら身体に良くないということは、頭では分かっていてもついつい食べ過ぎてしまい、体調を崩したり病気になったりする原因のもとになります。一方、野生の動物には食べ過ぎはないそうです。どんなにおいしいものがあっても、ある程度お腹が満たされると食べることをピタリと止めるそうです。その点、人間はいやしいものです。欲食いをします。一皿よけいに食べてしまいます。動物の場合は本能のままですが、人間は本能を越えて欲望に振り回されるのです。

「飲み放題」でもそうですね。もとをとらなきゃとついつい飲み過ぎてしまう。ほどよい適量で酔っても十分なのでしょうが、もう一杯、もう一杯だけ、と……笑。動物はどんな空腹であっても身体に悪いものには見向きもしないそうです。立派です。そう考えると私たち人間は愚かなものです。

以前、小学校の授業で「小欲知足」という話をさせて頂いたことがありますが、今思うと欲の多い私がお恥ずかしい限りです(笑)
「小欲」とは、まだ得られていないものを欲しないことであり、「知足」とは足るを知るで、すでに得られたものに満足することです。
唐の時代の代表的な仏教僧である玄奘(げんじょう)は「知足」をさらに深めて「喜足」(足るを喜ぶ)と訳したそうです。今あることを、足りていることを喜ぶことによって、欲望も少し減少していくのかもしれません。

食べ過ぎ飲みすぎの繰り返し、お恥ずかしい限りの人間ですね。動物を少しでも見習いたいものです。
さて、我がふるさと鹿児島、大隅は美味しい物ばかり。悩みますなあ

固定リンク | 2018年09月17日【28】

なにをすべきか

 『いのちが有限なものであることを深く認識すれば、世間的な成功とか、物質的な豊かさとかが、どんなに意味のないものであるかが、おのずからはっきりしています』

 『自分は何をするために生きているのか、残された時間に何をすべきかを考えるようになります』

 
 (46歳、乳がんで亡くなられた千葉敦子さんの言葉)

固定リンク | 2018年01月29日【27】

目が覚める

先代住職である祖父の言葉をふと思い出しました。
『朝、目が覚めて鳥の鳴き声を聞くと
 今日も いのちいただいたなぁ
 有り難かな 不思議じゃなと思う』と。

その頃私は20代前半であったせいか、意味は分かりますが、もうひとつピンとこないというか、そこまで感じ味わうことができませんでした。今少し年を重ね、今ほんの少しだけ その言葉の深さに気づかされます。

東井義雄先生という方がこんな詩を遺されております。

「目がさめてみたら・・・」

目がさめてみたら
生きていた
死なずに
生きていた

生きるための
一切の努力を投げ捨てて
眠りこけている私であったのに
目がさめてみたら
生きていた
劫初以来
一度もなかった
まっさらな朝のど真ん中に
生きていた
いや
生かされていた

眠っている時には、すべてを投げ捨てて眠っています。自分の心臓ながら自分で動かしているわけでもない。肺を自分で動かしているわけでもない。眠っている時は特におまかせです。しかし、目がさめてみたらまっさらな朝のど真ん中。まさしく生きているのではなく生かされてあることに気づかされます。

 さて、先日病院にて健康診断を受診しましたが、その中には心電図の検査がありました。検査中、機器の画面を見ていると針が小刻みに動いたり上下に大きく揺れたりする様子が分かります。その時に、私の心臓は不思議だな、お願いもしていないのに一生懸命に働いてこの私を生かそうとしているのだなと感じる瞬間がありました。自分で自分を動かしているわけではなく、心臓も、肺も、胃も、腸も、肝臓も、すべてがすべて一生懸命に働いている。活動してくださっている。もう、頭が下がるばかり。思わず手が合わさります。ふと、お念仏がこぼれます。「大いなるいのち」によって支えられていることに気づかせていただく。いのちに目覚めるということは、こういうことかもしれません。

今少しだけ、祖父の言葉が分かるような気がいたします。

固定リンク | 2017年11月17日【26】

おにぎり

 
おにぎり 握った 母さんに

 握り返したい 感謝の手


 親が子どもを大切に育てることを「手塩にかける」といいます。おにぎりを握る時、小皿に盛った塩を手でつまんでそれぞれに味を決めます。そこから転じて、子育てに気を配ることの意味になったといいます。ですから辛すぎても甘すぎてもいけないのが手塩のこつなのかもしれません。
 
 現代ではコンビニに、それはそれはバリュエーション豊富な美味しいおにぎりがいっぱいあります。しかし、どんなおにぎりよりも母のおにぎりは子どもにとって特別なもの、私にとって忘れられないもの。ちょっぴり効いた塩味は母の愛情そのものなのかもしれません。
 少しずつ老いていく母の姿を見ていると、時には手を握り、なかなか言えない「ありがとう」のひとこと、伝えたいものです。

固定リンク | 2017年06月07日【25】

あなたの ことばに であって

あなたの ことばに であって 人生の厳しさを知りました

あなたの ことばに であって 素直な私になりました

あなたの ことばに であって 気持ちが楽になりました

あなたの ことばに であって この胸があつくなりました

だから今日も あなたの名前を呼びます

南無阿弥陀仏 

固定リンク | 2016年06月09日【24】

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